地球の記録 1909-1931

世界の写真史の中で、偏愛に値する技術があるとすればそれはオートクロームではないだろうか。近くに寄ってみると、微細に埋め込まれた三色の粒々が見る者にまた別の感慨をもたらす、20世紀初頭のカラー写真技術である。アルザス出身のユダヤ系銀行家アルベール・カーンは、1909年から世界恐慌で破産した直後の1931年まで、私財を投じてスタッフを世界各地に派遣し、オートクローム写真(7万2000枚)と記録フィルム(17万メートル)を撮らせた。日本にもロジェ・デュマというキャメラマンが来ているそうだが記録は残っているのだろうか。世界を撮影させただけならすでにリュミエール兄弟がやった仕事だが、カーンの事業が異なるのは明らかに学術的、社会還元的な発想を持っていたことである。つまり彼は、日本でいえば渋沢敬三を拡大したような人物ではないか。というか、カーンは渋沢栄一と親交があったというから、渋沢家の方がカーンから学んだのかも知れない。

博物館はブーローニュにある彼の邸宅の跡地に建てられている。意外とメトロの駅前でほっとした。今の企画展はカーン・コレクションのうちインド関連の写真と記録映画。館の方針により、オートクロームはすべて透明プラスチック板上に複製したものを背後から光で照らすようにしてあり、視覚効果は抜群である。なぜ私たちはオリジナルを展示しないのか、とわざわざ保存上の理由を説明した文章まで入口の近くに示されている。1910年代のインドの街角、たたずむ人、火葬、大建築、貴族の肖像、浜辺などが色彩でよみがえる様には身震いさえしてくる。カーンは映像の人であったと同時に庭園の人でもあり、展示室からそのまま庭園に出られるようになっている。日本風・英国風・フランス風の3つの庭園があり、さらに奥にはカーンの出身地であるヴォージュ風の明るい森林が広がっている。森林の奥にも家が建っており、どうやら今は学芸員の執務室のようだ(こんなところで働きたいなー)。カーンは自分らの集めた映像資料を"ARCHIVES DE LA PLANETE"(地球アーカイヴ)と呼んで保存していた。もちろんカーンは破産したので現在は博物館・庭園ともにオー・ド・セーヌ県の所有である。可燃性のオリジナル・フィルムもCNCアルシーヴへ寄託されている。私は、本当はこういうものを毎日眺めて暮らしたいと思う。

その後ジュ・ド・ポム美術館のロバート・フランク展へ。写真集"THE AMERICANS"は持っているが(自慢)、パリを撮った一連の写真は初めて見る。なぜか冬の写真が多く、霧の中へ、雨の中へ消えてゆくようなパリだ。帰り際に地下に寄ったら、マリオ・ガルシア・トレスというメキシコの若い美術作家の作品にびっくりさせられた。一連の白黒写真を数秒おきにスクリーンに投射する方式だが、そこに写っているのはなんと東京は市ヶ谷の日本シネアーツ社! なんでまた、と思ったら2006年にピリオドを打った伝統の字幕技術、いわゆる「パチ打ち」字幕の最後をノスタルジックに語った作品であった。意外にも程があるわい。せっかくジュ・ド・ポムへ行ったのだから、とその別館であるシュリーのジュ・ド・ポムにも地下鉄で行ってみる。訳すと「パリ、写真の首都1920-1940」という展覧会。戦前のフランス写真界は、ブラッサイやケルテスだけでなく、実に多くの東欧人に支えられていたのだと分かる。あとロール・アルバン=ギヨって、写真家なのに国立シネマテークの設立のために政府に担ぎ出され、先に私立でシネマテークを作っちゃった若きラングロワに敵対した人物だが、顕微鏡などを使った彼女の写真実験は大変面白い。さらにこの展覧会、映画界からなんとジャン・パンルヴェも参戦していた。オマール海老のハサミの超拡大写真! とまあ、記録映画もあったが主に写真に埋もれた一日であった。