《FIAF北京会議》 エジプトのベティ・ブープ

シンポジウム初日。注目した発表は以下の三つ。1:アニメの原画やセル画の保存を主題とするシネマテーク・フランセーズの発表では、1933年に若きルネ・クレマン(!)が作ったアニメ作品の切り抜き原画が登場。戦前期に『左側に気をつけろ』とか短篇に携わったことは知られているが、古代ケルト人とローマ人の戦争をアニメーションにしていたとは。なおクレマンのアニメ作品はこれ一つだけとのこと。2:エジプト産アニメーションの創始者フレンケル兄弟について。1994年にパリ郊外で亡くなった叔父ダヴィド・フレンケルの遺品を整理していた甥が、そこで可燃性の映画フィルムを発見したのが話の始まり。もともとユダヤ系の白ロシア人だったフレンケル兄弟は、20世紀の初頭、ユダヤ人迫害や日露戦争への徴兵を逃れるためにパレスチナへ移住する。やがてエジプトに落ち着いた兄弟はアニメーション作りに開眼、1936年に陽気な「ミシュミシュ」くんをメイン・キャラクターとするエジプト初のアニメ作品を発表する。昼は中国家具の製造、夜はアニメ製作に精を出すという生活。地元の観客から支持を得ただけでなく戦時には政府からプロパガンダ作品も受注した。ところが1951年に国を追われてフランスに移住、主人公の名を「ミミッシュ」と変えてフランスでも映画を作り続けた。エジプト時代の作品は(アラビア語は読めないが)アメリカン・カートゥーンの影響が濃く、ベティ・ブープっぽいキャラクターが微笑ましいのだが、実は絵があまり上手でなかったりする。だが逆にそのことが、新芸術によって生き抜こうとする流浪の一家の重みを感じさせる。半世紀にわたってほとんど忘れられていた「アニメーション・ディアスポラ」の歴史が明かされた。3:アニメーション製作で世界的に知られるNFB(カナダ国立映画庁)が設立される前に、カナダでフィルム上に直接彩色する抽象アニメーションに単身挑んだ人がいた。その人ゴードン・ウェバーは本職は建築学の教授で、ノーマン・マクラレンの教えも得たというその作品はレン・ライを思わせる躍動感ある色使いが魅力。どのアーカイブの発表も「切り札を出してきた」感が強かったです。

夜は一般のお客さんも入場できる上映会、というより客席は市民の方がほとんどに見えてむしろ嬉しく。各国のフィルム・アーカイブ自慢のコレクションが並ぶが、初日となる今日は日本作品の日。『茶目子の一日』に爆笑。『幽霊船』に大きな拍手。