2011/07/21

この暑苦しい気候でバロウズの「ソフトマシーン」読むのはきつい、と思っていたら台風一過の今日だけは涼しかった。これの単行本が出たのは1989年だそうで、山形浩生氏も柳下毅一郎さんも25歳ぐらいだったわけだ。確かにこんな死人まみれで精液まみれな脈絡破壊小説、オトナになったら訳せない。

日本古書通信」で稲垣書店中山信如さんによる連載が始まった。これまで扱ってきた面白い品々について、希代の映画古書店主が回想するという連載のようだ。第1回は、大量のスチル写真を300万円で買って、最終的に800万円で売りぬいたが、それでも割りが合わない、という含蓄のあるお話。素晴らしいのは、一つの塊として手に入れたものを光り輝く商品に仕上げてゆくまでの過程だ。単行本であれば、買う時も売る時もおんなじ本一冊だが(そこにも労働はあるのだが)、ここでは綿密な調査や分類がまさに価値を創造してゆく作業になる。これが長い連載になって、いずれ単行本になるのを期待。

夜、neoneo坐で久々に「短篇調査団」。原子力特集の第2回だが、スタートには間に合わなかったので2本目から。東映教育映画部『核燃料の魔術』(1975年)は、進行役のおねえさんの後ろで変なプラカード男(『どっきりカメラ』の野呂圭介を思い出す)がうろついてたり、原子の構造を説明するのに赤レオタードの陽子と白レオタードの中性子がダンスを始めたり、「難しいテーマを分かりやすく」という努力がかえってイタい一本。それだけ具体的な解説の求められる時代になったのだ。日経映画社『地上の太陽を求めて』(1976年)は外国の原発にも取材して本格的な作りだが、この頃の業界は高速増殖炉の推進にやっきになっていたようで、どちらの映画でも「使えば使うほど燃料の増える夢の原子炉」というバラ色の扱い。最後の岩波映画『21世紀へつなぐ』(1979年)は、水力発電の王者・電源開発がスポンサーで、主題はエネルギー源の多様化。もはや巨大ダムを続々と建設する時代ではないので、水力発電も低落差の水を使って細々と電力を稼ぐしかなく、オイルショックのせいで火力も輸入石炭発電に転換中、原子力は本格的な参入にも至っていない。だのに、映画の始まりから終わりまで自社礼賛モードは全面展開、重厚長大バンザイの産業映画からまるで脱却できていないのが苦笑を誘う。

ツール第18ステージ。アンディ・シュレクくんの、ガリビエ峠山頂ゴールまで60キロを残しての奇襲アタックが見事に決まる。残されたメイン集団のもたつき具合がなんとも情けない。コンタドールはついに落城か。

宣伝です。明日の16時50分頃に、ニッポン放送のラジオ「上柳昌彦 ごごばん!」に出演、映画パンフ展の紹介をいたします。