水平線がきらきらっ

10月10日

こないだ買ったパゾリーニの詩集は今年発行されたもので、自らの生い立ちを詩にした一種の自伝である。イタリア語初心者たる自分でも、辞書があれば多少は読めそうな感じがする。パゾリーニが7歳にして初めて詩を書いたのは、なんとポルデノーネの隣町サチーレでのこと。サチーレは、ヴェルディ劇場改修の間、この映画祭の避難地でもあった土地だ。母親がこのフリウリ地方出身だったためらしく、となれば彼にとってポルデノーネも親しい町だったに違いない。

世界から集まった錚々たる専門家がこれだけ初期蒲田映画を絶賛しているのに、そして柳下さんがこれだけの喝采を浴びているのに、そのことを適切にフィードバックしようとする日本のメディアがないのは変だ。小川佐和子さんのツイッターとこのブログだけなんて淋し過ぎる。ここが「むかしの映画」を懐古する場所などでは断じてなく、世界の映画芸術の最前線を突っ走るイベントであることは来てみれば誰でも分かるはず。その証拠に、欧米各国から島津や清水の初期作品を観たいばかりにパワフルな研究者たちがイタリアの片田舎(すみません)にまでやってきて、英語だけでなく時には日本語で議論を始めている。だのに、この松竹特集の成功を今の日本にどう伝えたらいいのだろう。むしろそこが悩ましい。

今日は思い立って西ヨーロッパの最東端、トリエステまで列車で行ってきた。ジェイムス・ジョイスが英語教師をしていた町、ファシストと連合軍とチトーのパルチザンが奪い合った崖下の港町である。サン・ジュストの城壁の上に立つと、西にはきらめくアドリア海とヨット群が、東にはスロヴェニアの森が見える。港の周辺など、思いのほか賑やかな都市だった。そして、列車が途中で通過するウディネでは、日本のカルト映画に強い「極東映画祭」が毎年行われていて、生前の石井輝男監督も訪問されたという。ポルデノーネで初期松竹映画が常識になったように、ウディネではすでに「新東宝」が共通語だ。昨日お会いしたウディネのスタッフが「あの映画、えーと、ホライズン…」。え?『地平線がぎらぎらっ』?そんなのも上映したの…? 日本映画史に対する世界の視線はもうここまで来ている。

イタリア料理について。東京のイタリア料理店はかっこつけ過ぎである。いいものを作ると値が張るのはある程度仕方ないが、敷居はもっと低くしたほうがいい。あと、ワインの種類は減らしていいから全部グラスで提供可能にすること。とりあえず、帰国したら生野菜にバルサミコをたらたらとかけて食いたい。

※第29回ポルデノーネ無声映画祭日記はこれにて終了です。