ロビンフッド対オネジム

10月8日

昨日から晴天続き。ノンチェロ川周辺を散歩するもよし。牛原虚彦『若者よなぜ泣くか』(1930)も好評。要するに、牛原や清水や島津の文体を語る以前に「蒲田の文体」というものがあるのだな。ただスティーブン・ホーンさんの演奏、それ自体は素晴らしかったけれど、「七つの子」とか「赤とんぼ」とか、日本のメロディを安易に織り交ぜるのはどうかな。向かいのカフェで小松弘先生やアレクサンダー・ジャコビーさんらと映画雑談。いまP.C.L.の研究をするのは難しいけれど、J.O.の研究はもっと難しいね、といった話も。

本日のコレギウムは「ソビエトの三人の仕事」特集で、学生でなくても聴講できるというので、それを聴きに行ってからレフ・プーシ『ギュリ』(1927)の上映へ。共同監督はかの「グルジア映画の父」ニコライ・シェンゲラーヤで、彼にとってもごく初期の作品。プーシなんてここに来るまで聞いたこともなかったが、デヴィッド・ロビンソンさんも「僕もまるで知らなかったんだよ!」。この方が知らんのではそりゃ誰も知らんわ。グルジア映画の草創期に活躍したが、その後政治的に疎まれたのか左遷に次ぐ左遷、最後はシベリア(イルクーツク)のニュース映画スタジオ勤務になったが、プーシたち有能な左遷組のおかげでイルクーツクの技術は高度だったという。映画の舞台は、いにしえのグルジアの荒野。羊飼いの娘ギュリには相思相愛の青年がいたが、ギュリの家はムスリムで青年はキリスト教徒。母親はそういう結婚には反対で、貧しさもあいまって、お金を目当てに同じムスリムの富裕なおっさんと無理に結婚させようとする。素朴なメロドラマではあるが、岩山と灌木だらけというグルジア辺境部の地形を知り尽くした画面の感覚が良い。左遷はもったいなかった、と今ごろ言ってみる。

帰国も遠くないので、町へ出てちょっとした買い物。イタリアの店で好きなのは本屋だ。フランスやドイツよりも、本屋の雰囲気が知的な感じがする。ブックデザインが優れているのも理由の一つだろう。こんな人口5万人の町にも人文系に特化した知性的な本屋があり、とりあえずイタリア映画史の本を買ってみる。自分が読めるわけではない。外国に行く時は、優れた映画本を少しだけ買って、帰国してからフィルムセンター図書室に寄贈することにしているのだ。ついでにパゾリーニの詩集も買った。

さてさて、お楽しみだった『カラトーゾフの嵐』(2009)。この映画祭では、主に夕方の時間に関連ドキュメンタリー作品も上映されているが、そこまで観ると身体が持たないのでこの一本だけにした次第。要するにミハイル・カラトーゾフの家族や関係者、映画史家へのインタビューと記録フッテージからなる伝記ドキュメンタリー。主な撮影地はモスクワ・トビリシハバナ。『軍靴の中の釘』を批判されて延々と冷飯を食わされていた1930年代から40年代の話が面白い。アメリカへ行ってハリウッド産業研究なんてやってたのね。あと、ハバナへ行くとまだ『怒りのキューバ』のスタッフや脚本家が生きていて、いろいろ裏話をしゃべってくれるので興奮。ちょっと涙が出ちゃった。カラトーゾフを崇敬したキューバ人たちが、それ以上に撮影のセルゲイ・ウルセフスキーを「天才」だと言っていたのが忘れられない。ソ連映画のプレスシートなんてのも初めて見るので食指が動く。最後に、伊ソ合作『SOS北極 赤いテント』(1970)に出ていたクラウディア・カルディナーレが出てきてのけぞった。大傍正規さんと夕食。

無声映画の研究や保存活動に貢献した人に与えられるジャン・ミトリ賞の授賞式。今年の受賞者はモントリオール大学の映画史家アンドレ・ゴドロー氏と、イタリア映画史の専門家リカルド・レーディ氏。その後、ダグラス・フェアバンクス主演『ロビン・フッド』(1922)は満席に。いやー、贅沢贅沢。青年貴族だった頃とロビンフッドになった後の演技の段差が面白みなのだが、それでもロビンフッドとしての無駄に派手なアクションには会場から笑いが漏れる。シャーウッドの森の奥に蟻の巣みたいに同志が集まってて、いったいどうやって食わせてたんだろう?とこっちも無駄な疑問が。深夜「フランス初期喜劇俳優」特集で『オネジム対オネジム』(1912)ほか。一人のオネジムが良いオネジムと悪いオネジムに分裂して喧嘩するなんていう荒唐無稽な展開が、のちのシュールレアリストたちに好かれた理由なんだろう。ロビンフッドがこっちに出てきてもいいような気がした。

ここではもう小津・成瀬以前の松竹蒲田スタイルは常識になってしまったし、絹代はもはや「ミゾグチの女優」ではなく、鈴木伝明の相手役だとみんな知っている。名前は覚えられなくても、どの映画にも出てくる鈴木伝明と岡田時彦江川宇礼雄の顔つきは覚えてしまっただろう。そしてどの国の人も、それを自国に持ち帰って次々と人に語り伝えてゆく。そんな稀有なイベントの持つ精神を日本で広く理解してもらうにはどうしたらいいんだろう。途方に暮れるばかり。