13分のファム・ファタル

10月6日

捻挫の薬を求めて朝から薬局を探す。スプレーを買い求めたが、若い知人が別の薬局で湿布を買ってきてくれて大感謝。スプレーした上から湿布という強力な布陣で島津保次郎『麗人』(1930)に臨む。足を休ませるにはこういう長い映画は最適である。今回の松竹映画特集は呆れるほどブルジョワ映画が多いが、ここではブルジョワ系メロドラマに傾向映画の微妙な味付けが利いているのが蒲田らしくて面白い。あくまで微妙に、というあたりが。案の定、終わってみると足の痛みは急速に引いていた。クリスチャン・ディミトリウさんが、会社社長(奈良真養)の愛人となった女(栗島すみ子)の前に現れ、彼女が一度は結婚さえ決意するスマートな青年(山内光)について、「あの俳優は日本映画的ではない、あまりにも西洋的だ」という。事実、山内光(=岡田桑三)は英国人のクォーターだが、そういう要素も巧みに映画に活かされているという指摘だった。

アマゾン記録映画特集で『エルドラドを求めて』(1925)。インタータイトルがないので英語の説明つき。アマゾンを遡る探検隊の船。細いギター音を絡ませた伴奏音楽が素晴らしい。そして夜は、発掘上映でF・W・ムルナウの『マリッツァ』(1921)。今回の最大の目玉の一つ。もとはイタリアの収集家ジョゼ・パンティエリの所蔵品で、その死後にローマのチネテカ・ナチオナーレが復元したもの。1巻目(13分)しかないので、密売の片棒をかつがされていた村娘マリッツァが村を出て男と駆け落ちしようとする、その瞬間にあえなく終わり。くーっ。「カルメン」を下敷きにしているらしいが、ブルガリア出身という女優のエキゾティックで禍々しい美貌に目を奪われる。カルメンというよりは、ファム・ファタルの匂いがする。画質も染色も素晴らしいが、途中から銀塩が浮いてソラリゼーションを起こしているあたりは、きっと元の素材の状態が大変だったのだろうと推測。続いてフランスの二人の前衛派監督、アルベルト・カヴァルカンティ『時の外何物もなし』(1926)とジェルメーヌ・デュラック『勇者たちの狂気』(1926)。前者はむかしシネマシオンあたりで観ているが、空の雲を見上げるショットぐらいしか記憶になかったのでこんな美しいプリント(オランダ版)で観られるのは有り難い。パリという街のいわゆる「シティ・シンフォニー」風スケッチで、ヴァルター・ルットマン『伯林―大都会交響楽』(1927)の完成度にはかなわないが、ルットマンの一年前に作ったのはえらいかも。やりたいことはまあ素朴なブルジョワ批判で、ヴィゴの『ニースについて』と対を成すと考えても面白い。後者は、へぇー、デュラックってこういう映画も作るの!と驚かされたが、ジプシーの部族対立を背景にした悲恋物語。そんなに面白い映画ではないが、日本だと『貝殻と僧侶』とかせいぜい『微笑むブーデ夫人』ぐらいしか紹介されていないので、実験映画だけの人と早合点していたのは反省。

島津保次郎『明日天気になあれ』(1929)。日本人も犬が好きなんです。もう、今回は清水宏にまして、島津の大きさに気づかされるばかり。日本にいてはかえって気づく機会もないだろうから、こういう学術的な映画祭の価値を改めて思ったりする。