塩と女装とハムレット

10月5日

おとといの『戦艦ポチョムキン』は、2005年に元ミュンヘン映画博物館ディレクターで、かつて『メトロポリス』の復元で名を馳せたエンノ・パタラスが手がけた復元版である。編集としてはソビエト公開時のオリジナル版ではなく、ドイツ公開時(1926)にエドムント・マイゼルが作曲した音楽に合致したドイツ版。マルティン・ケルバーさんに、赤旗の彩色についてお聞きしたら、その作業はミュンヘンにお願いしたというので、ちょうどランチでご一緒した現ミュンヘンの館長シュテファン・ドレスラーさんに尋ねてみた(ちなみに11月上旬に3D映画の専門家として来日されます)。すると、少なくともドイツとイギリス公開版では、旗は赤く彩色されていたという。だがその復元をするにも、当時使われていた薬品が現代では使用禁止になっているのでケミカルな問題の解決が大変だったとのこと。最後に付け加えておくと、29回目となるこの無声映画の祭典で、実は『戦艦ポチョムキン』の上映は初めてだそうだ。伴奏をしたブーフヴァルトさんも「意外だろう?」。たーしかに。

東京とのメールやり取りの仕事は朝の時間がいちばんいいが、今日は案外と時間がかかり「フランス初期喜劇俳優」特集は途中から。カリノという芸人は、いつもニターッと笑っているのが逆にちょっと怖く、うず高く積んだ何かがどさっと落ちてくるとかいう破壊ギャグが定番。続いてカラトジシヴィリの2本で、特にカフカスの人里離れた荒れ地に住む民衆の苦闘を劇映画とドキュメンタリーの中間的なスタイルで描写した『スワネチアの塩』(1930)が圧巻。構図の決まり具合が尋常じゃない。塩の足りない土地なので、動物たちも塩をほしがって男の立ち小便にまで近づいてくる。その牛たちの顔のモンタージュは、今までに見たもっとも迫力のあるクレショフ効果だったかも知れない。牛原虚彦の『海浜の女王』(1927)と『感激時代』(1928)。とりわけ前者は鈴木伝明の女装に歓声が上がっていた。

清水宏『銀河』(1931)は実は初めて観る。ベタベタのメロドラマはいいのだが、個人的な印象では『七つの海』に比べて多少切れ味に欠けるきらいも。だが、とにかく八雲恵美子が美しい。文体の洗練も疑いようがなく、シネマテーク・フランセーズカミーユ・ブロ=ヴェレンスさんほか声をかけてくれる外国の知人はみなその点を強調していた。そして若い女性たちは、高田稔がかわいい!と声を揃えて言うのだった。ニュージーランドで発掘されたジョン・フォードのバックステージ物『アップストリーム』(1927)。芸人長屋(長屋じゃないけど)にくすぶっていた若者が、ある日有名な舞台興行主の訪問を受け、ロンドンでハムレットを演れ、お前の芝居がうまいからじゃない、一応演劇界の名家の出だからその苗字だけで客が集まる、とロンドンに招かれる。しかし、彼に惚れているナイフ投げ芸の娘は一緒にロンドンに行こうと言われなかったのでやきもきして、という喜劇。一階席から三階席まで満員だったのでやむなく四階席で観たのだが、上映が終わってご機嫌で出口へ向かおうとしたら階段を一段踏み外して左足首を軽く捻挫。それでもプドフキンの『チェス狂』(1925)で大笑いしたのだった。この映画は、革命直後のロシアだけに許された、様式化された演技の素晴らしい実験場だ。夜は、ヨーロッパのフィルム・アーカイブ関係者と雑談。FIAF事務局長のクリスチャン・ディミトリウさんにも久しぶりに対面し、遅くまで長話。