レイモン・ボルドに敬礼

シネマテークは市の中心街のトール通り、ルネッサンス期の煉瓦造りの門をくぐった中庭の奥にある。全事業を統括しているクリストフ・ゴーチエさんが待っていて、午前中は図書室と上映事業を、午後はバルマ市の「シネマテーク保存研究センター」に移動して他の非フィルム資料の概要を詳説してくれる。これらのデータベースはシネマテーク・フランセーズと共有だし、やっていることもパリと大きく変わらない。しかし持っているものが違う! 映画雑誌・映画祭カタログ・ロビーカード・映画団体資料など、シネマテーク・フランセーズはちょっと弱いかな?と思われた分野がここではやたらと強い。しかし逆もまた真なりでパリに沢山ある機械類や映画人資料はほとんどない。いにしえの“ラングロワ対ボルド”の反目が見事にコレクション内容に反映しているのだ。

フィルムについても同じだ。クリストフさんとの昼食時の会話で知ったのだが、レイモン・ボルドは、ラングロワがさほど関心を持たなかった教育映画や地方映像(ここでは南西部の記録映画)の収集に力を入れていた。フランスでは1910年代から教育映画の学校巡回上映が組織化されていて、1922年には教育映画を専門とする最初のシネマテークサンテチエンヌに設立されたとか。え、そんなことマノーニさんの本には書いてないですよ? 巡回上映は特に南仏で強く、アメリカのバーレスク映画とか貴重な無声劇映画も援用しつつ1970年代まで続いたそうだが(つまり可燃性フィルムもその頃まで映写されていた…)、下火で廃棄の危機にあったところをボルドに救われたという。日本の教育映画について尋ねられたため、一応自分の関心分野なので歴史をかいつまんで話したところ、フランス教育映画史を次の研究テーマに考えているというクリストフさんと気炎が上がってしまった。

1982年からここで働いてこられた職員の方が明日退職されるというので、夕方みんなでトール通りへ戻ってお別れの立食パーティに出席。地元っぽいオードブルが並ぶが、ボルドが大好きだったという卵料理「ミモザ」が特においしい。トゥールーズの夕方の光は2月にあっても美しく、暗くなれば市民がぞろぞろと『蜘蛛巣城』の上映に集まってくる。パリにいては見えない映画の風景がここにははっきりある。

図書室で驚いたのは、1997年のオープン前の改築中に発掘されたというフレスコ風の壁画だ。絵はわりと新しく、よく見ると「インターナショナル」の歌詞が書いてある(私はなぜか日本語とフランス語で歌えるのです)。尋ねてみると、トゥールーズフランコ政権のスペインから亡命してきた社会主義者の拠点で、ここは彼らのかつての集会所だったという。いいものを見せてもらったので、お返しに、今日の『蜘蛛巣城』で三船敏郎に殺される城主は、実は「インターナショナル」の歌詞を邦訳した人物だと教えてあげた。さすがにこのトリビアは意外すぎてウケる。