リヨン映画通り

永井荷風が銀行員をやっていた都市、リヨン。第一印象、パリよりもさっぱりしていて居心地が良い。特に地下鉄がゆったりしていて清潔だ。明治時代に富岡製糸場を作った人々もここで学んだわけだ。列車の中で考えたのだが、外国へ行って研修をしてくるというのは実にニホン的な制度ではないか。ヨーロッパの博物館学芸員には、若者が経験を積むためのインターン的な実地研修はあっても、こういう制度はないだろう。時々「もう欧米に学ぶことなんかない」などという人がいて、まあそういう分野もあるのかも知れないが、現に私は吐き気がするほど沢山のことを聞いてむしろ消化できないでいる。つまりこの制度はいまだ有効なのだ。明治時代の官費留学生とあまり変わらないのだと思うと笑える。

こちらで会社を設立して活躍されている国際交流基金時代の同僚、平野道子さんとランチ。僕が退職した時平野さんはニューヨーク赴任中だったので、本当に15年ぐらいお会いしていないのではないか。基金にいらした頃より晴れやかな表情をしていると思った。私もそう言われるのだが。

明日はリュミエール協会へ行く。INSTITUTを「協会」と訳すか「研究所」と訳すか、東京日仏学院のように「学院」と名づけるのはやや意図的な例外だが、前々から悩ましく思う。地下鉄は「モンプレジール=リュミエール駅」、住所も「25, RUE DU PREMIER FILM」(最初の映画通り25番地)だそうだ。リュミエール協会はまあそれでいいわけだが、むしろその並びに「最初の映画通り」に暮らす人々が存在することが面白いです、はい。