シネロマンは池袋に非ず

映画博物館付属の図書館へ向かう。博物館本体が市の中心のやや東側にあるのに対し、こちらは南西部とかなり遠い。心配したクラウディア・ボッゾーネさんが、いったん博物館まで到着した私を、図書館近くまで行く路面電車の乗り場まで案内してくれる。移転して昨年9月に再開館したばかりだが、わざと博物館と別の地区を選んだそうだ。

てなわけで、シルヴィオ・アロヴィジオさんに正式名「国立映画博物館 マリオ・グロモ図書館」を案内していただいた。ここのコレクションはアドリアーナ・プローロ旧蔵の由緒正しい図書から始まり、1910年代にトリノを拠点としたイタラ社の資料、ジョヴァンニ・パストローネ監督資料(『カビリア』を書いたダヌンツィオ直筆の書簡!)、館名にもなった評論家グロモの図書など選りすぐりの文献からなるが、年月を重ねて、最近は笑いを誘う寄贈もあるらしい。例えば、ロドルフォ・ヴァレンティノの関連書なら何でも集めてきた超マニアな文献学者さんの図書。同じ本が10冊もある…。これがあるからヴァレンティノ展が可能だったのか。あと、オーケストラの指揮者さん旧蔵のVHSビデオコレクション数千本。バランスよく世界の名作が集まっているのが微笑ましい。映画人の個人資料としてはレナート・カステラーニ資料、マルコ・フェレーリ資料、フランチェスコ・ロージ資料、エリオ・ペトリ資料などなど。

奥の部屋へ入ると、若いミケーレくんとマルコくんが乱雑に積まれたプレス資料の整理をしていた。ううっ、なんか見慣れた光景だなあ。今日のイタリア語単語、「プレスシート」は"IL PRESSBOOK"だそうで。あと、イタリアの映画刊行物で特徴的なのが1930年頃に始まった"CINEROMANZO"、つまり「シネロマン」の隆盛。もともとは、映画館のない地域の人たちのために作られたもので、当初はストーリーの説明だけだったがその後スチル写真も入って豪華になり、1950年代には最盛期を迎えるがやがて成人映画専門となり1970年頃には消滅した。ああ、映画刊行物のことだけで国際シンポジウムを開きたくなってきた。

一緒にピッツァを食べに行ったが、ミケーレくんとマルコくんはいいコンビだ。この図書館はシネマテーク・フランセーズ図書室ほどの誇り高さは感じさせないが、なごやかな雰囲気で大変居心地がいい。それはサイズ的にフィルムセンター図書室に近いからでもある。整理中の資料がかなり残ってる点も似ている。それにしてもピッツァがデカい…。