時の動きを見る

今日の昼間、アポイントメントをどこにも入れてなくて本当に良かった。朝っぱらからニホンとの連絡に忙殺される。原稿の手直し2つ、返信メール11本。帰国も遠い話じゃないんだなと思い知る。ニホンが22時になる14時頃、ようやく落ち着いてコインランドリーへ洗濯に行く。なんだかここでは常連化してきており、アメリカ人カップルやアラブ系のおじさんにここの洗濯機の使い方を教える羽目に。

ジョゼ・べナゼラフ『恐怖のコンチェルト』@フィルモテーク・デュ・カルチエ・ラタン座。ヌーヴェル・ヴァーグを下回る超低予算ながら、ちゃんと暗黒映画になっていてこれは拾い物。まあ、チェット・ベイカーのかっくいートランペットに随分助けられてるけど。初期のべナゼラフは、女性が上半身をはだけるので一応成人映画だがニホンの60年代ピンク映画とは違う感じ。話は二つの麻薬密売グループの抗争で、片方のボスが若きジャン=ピエール・カルフォン! あとの俳優は知りません…。

夜、こちらにご滞在中の諏訪敦彦監督、吉武美知子さんとお食事。もうすぐ完成するという新作のお話など。三人で大量のお肉をぺろっと平らげる。

今回の研修を通じて少しずつ考え始めているのは、映画アーカイヴの仕事をめぐる大きな時間の流れのことである。例えば、フィルムセンターは1990年代前半まではほぼ純粋な上映機関であり、1990年のシンポジウムで初めて「フィルム・アーカイヴの4つの仕事」が本格的に論じられた。その後、『忠次旅日記』などの発見に伴って復元事業に着手したが、それだけでなく失われたフィルムの発掘事業も盛んになり、その成果を示す上映企画「発掘された映画たち」も定評を得るようになった。つまり現在のフェーズは、映画保存という事業の重要性を握りこぶしで訴え、その「偉大さ」を伝えることに重点を置いている。しかし、そろそろ別のフェーズの準備に取りかかってもいい頃ではないか。それは、この仕事に一種の「気さくさ」を備えることだと思う。映画保存とは、映画を好む人間なら誰にでも関係のある日常のものでなければならず、多くの人の中にアーカイヴの持つ具体的なコレクションの認識を作ることが大切になるだろう。「あの人たちの仕事」と簡単に距離を作られないようにすること。非フィルム資料は特にそれに当てはまる。任務の大きさを訴えつつも、親密さの側面を持つ時代へと変わってゆけばいいと思う。