2015/01/21

映画祭参加者から映画アーキビストに戻って、最終日はシネマテーク・スイスを訪問。アラン・タネールほかスイス映画の革新を世界に知らしめた批評家フレディ・ビュアシュが45年間率いた(館長職は退いたが今もご存命)やや神話的な香りのするシネマテーク

まず、レマン湖畔のローザンヌから内陸に数駅入った丘の窪みにある、建設中の保存センターへ。2013年に半分完成したので所蔵フィルムや資料を三か月かけて搬入したものの、連邦政府の都合により残り半分の完成は2018年まで待たされることに…。「ここ、今は事務室にしてますけど、将来は図書の閲覧室になるはずです」。皆さん、ピカピカの建物をせまぜましく使って仕事をしている。

「これ、ダグラス・サーク旧蔵品なんですが、何でしょうか?」。美しく彩色された四角い和凧が8点あった。『人生の幻影』のあのベランダから凧揚げをしたわけでもなかろうが、眺めて楽しんでいたのか。あと日本語で書かれたポストカードが一枚、「何と書いてありますか?」。この秋ダニエル・シュミット監督を招いて映画祭を開催するのでどうぞよろしくというアテネ・フランセ文化センターの残暑見舞いだった。つまり1982年。ひと通り説明をすると、皆さん一同「ああ、なるほどね!」。

上映活動は、ローザンヌ市内の高台の公園にある歴史的建造物を使って行っている。ローザンヌは土地の起伏が激しく、国鉄駅前からいきなり坂道が切り立っている。遠い対岸の山々が神々しい。ゴダールの『フレディ・ビュアシュへの手紙』にある通り、真冬であっても「青と緑の間にある」街だった。