2014/05/05

アレクセイ・ゲルマン遺作『神様はつらい』。汚泥と吐瀉物と小便と血と内臓でどろどろの画面がほぼ3時間続く。知識人は全員殺され、愚者が愚者を襲うだけの世界なので、会話もまるで噛み合わない。単調極まりないが、ゲルマン本人はいまどのシーンを撮ってるのか分かっていたのだろう(当たり前か)、フレーミングの鋭さで最後まで見せてしまう。画面の前を、話に関係ない人や動物がどんどん横切る。というか、キャメラの前に鳥が投げつけられるショットが多すぎる。『フルスタリョフ、車を!』で見せた怒りは、収まるどころか、増幅するばかりだったわけだ。怒るだけ怒って死ぬのは、いまや絶望的に正しい態度なのかも知れない。

ジャ・ジャンクー『罪の手ざわり』。四つの衝撃的な犯罪話がゆるやかにつながっているのだが、第三話でいきなり胡金銓(キン・フー)へのオマージュが爆発。いつものジャ・ジャンクー女優さんが一瞬シー・フンに見える! それを別にしても、ドラマ的背景を削ぎ落とした、「怒り」から「犯罪」までの距離の《短さ》が最前線を感じさせる。堂々の復活と言い切ろう。

俳句評論家の仁平勝さんから、攝津幸彦論「露地裏の散歩者」が届いた。仁平さんが私のことを忘れていないというだけで、申し訳ないというか、心中が少し熱くなる。前衛俳句の異才攝津には、何が言いたいのか見当もつかない句も多いが、不気味な質感がいつも頭に残る。仁平さんによると、彼は映画監督になりたかったそうだ。この本でもやたらと映画が引用される。映画やらジャズやら、回り道をして何となく俳句にたどり着く、それでいいのだと教えてくれる。