2012/09/17

昨日観たNDU作品『アジアはひとつ』(1973)@ポレポレ東中野。撮影隊は、計画することなしに沖縄本島から宮古八重山、台湾へと流れ、出会った労働者や老人の語り、歌を拾ってゆく。台湾高地の先住民は明るい声で「大和魂」を口にする。アジアはひとつ、しかし日本語は複数だ。彼らの言葉を私たちが聞き取れないのは、聞く私たちの日本語観が貧しいのだ。

日本映画社ジャカルタ製作所のニュース映画には、エンドマークの前にしばしば「ASIA BERSATU」(アジアはひとつ)というスローガンがはさまれていた。大東亜共栄圏プロパガンダに利用されたこの言葉を、ニホンを照射する逆光線に変えてしまったNDUの力業、はなはだ爽快である。