2012/09/13

富士フイルムが映画用フィルム(エテルナRDSを除く)の製造を終了するという衝撃のニュースが流れた同じ日に、英国で世界最初のカラー映画フィルム(1902年)が発掘されたという報道が流れてくる皮肉。三原色のカラーフィルター方式だそうだが、発明者のターナーが急死したため、それを引き継いだチャールズ・アーバンが後に二色式のキネマカラーを開発したという流れ。今回の復元できれいに見られるようになったが、当時はうまく動かなかったのではないかという説も。

神戸映画資料館よりいただいた「伝説の映画集団NDUと布川徹郎」即座に全文読了。隅から隅まで刺激的、さらに詳細ビブリオグラフィーつきとは。NDUとは1969年から1974年まで存在し、今世紀に入って再び狼煙を上げた「日本ドキュメンタリストユニオン」の略。まず開いてみて、井上修監督の「題名はNDUにとってはその中身に匹敵するほど重要な要素だ」に衝撃を受ける。ドキュメンタリーは編集だ、素材だ、声だ、などと言うけれど、題名の魅力が意識化されることは少ない。だが『沖縄エロス外伝 モトシンカカランヌー』は決定的だ。返還前のコザの娼婦たちを撮ったこの映画の題名は、そのカオティックな内容とともに一生忘れることができない(「沖縄エロス外伝 」は後づけらしいが)。そしてそれを可能にするのが、主題を追い求める布川徹郎の図抜けた直感だろう。沖縄からそのまま帰ってくるのではなく、さらに宮古、石垣、与那国、そして台湾へと跳躍してゆく自在な感性は、他の日本のドキュメンタリー映画にはついに見られなかった。それにしても若き布川徹郎、相当な二枚目である。そのことも変に感激した。