2012/03/03

正直に申しますと、トークにこんなにご来場いただけるとは思わず驚くやら緊張するやら。しかし無事終わってほっとした。40分程度と言いながら60分もかかってしまい反省。デ・シーカ『ウンベルトD』のポスターがなぜ素晴らしいのか、しっかり話すことができたのは嬉しかった。

そういえば先日も木村栄文特集に参上したのだった。

『鉛の霧』(1974年)。鉛の精錬工場を経営する社長は、快く木村たちの取材に応じている。だが工員たちも、実は社長も鉛中毒に冒されていて、それでも日々の生活のために働き続ける。最悪の場合は水俣病に近い症状まで出るというのに。で、その様子を番組として放映したところ取引先が激怒、支援を打ち切られて工場は倒産の憂き目にあう。普通なら、そこで良心の呵責に苛まれて取材はジ・エンドだろう。だが、ここからがドキュメンタリーだろうと腰を上げるのがエーブン流。新工場のための融資引き出しにも失敗し、忽然と消えてしまった社長を、キャメラはタイまで追いかけてゆく。現地のアンチモン鉱山の現場監督となった元社長は大けがをしていたが、どうにかこうにか、ひとつかみの安堵を得ている。倒産の時に木村を罵った妻は、夫に去られた日本で何を思っているのか。木村が追いかける人間は、いつ実るか分からない夢のために生き、その途上で哀しく宙吊りになっている。絶望を絶望と気づかぬ男たちの間を、飄々とした風が吹く。

『まっくら』(1973年)。筑豊炭坑地帯の100年にわたる悲惨な事故の数々、貧困と苦闘、それでもヤマでの労働を愛してやまぬ人々。それをテレビはどう総括したらいいのか。常田富士男狂言回しとして炭鉱夫を演じ、木村らが「演じる」取材班をはぐらかしつつ、家に帰って過去のヤマの映像を映写機で、ときには幻灯機(!)で投影してゆく。女を怒らせ、嬉々として川へ投げ込まれるレポーター木村。予算はないが自由はある、これはもうATG映画ではないか?