2012/01/04

不意の訃報に狼狽もした正月だが、音沙汰のなくなった宮城在住の友人が元気だと判明した時は、年賀状という凡庸なシステムの機能を見直したりもした。

東京都現代美術館にて「建築、アートがつくりだす新しい環境」と「ゼロ年代のベルリン」展。前者はフランク・O・ゲーリーの最新作である微妙な歪みをはらんだ高層ビル、木造建築と家具が渾然一体となったインドの建築家&職人集団スタジオ・ムンバイ、たくさんの小さな空間が階段でつながっている可愛らしいが本当に居心地いいのだろうかと考えてしまうガラス張りの家(藤本壮介)など、建築というのはこんな世の中でも未来を信じているんだなあという印象。もちろん私の目当ては、ヴィム・ヴェンダースの『pina』公開に先立つもう一つの3D作品『もし建築が話せたら…』。ローザンヌにある、図書館やカフェやホールを備えた学習センターが、人格を持って人間に語りかけるというもの。床面が上がったり下がったりの曲線的な構造が生きものっぽいのでそれなりの説得力はあるが、3D習作の感は否めず。後者の展覧会だが、やっぱり今の現代美術は実に映像作品が多いことを痛感。そして、考えてることは鋭いかも知れないが、魅力のない映像が本当に多い。映像を作る現代美術作家はもうちょっと映画を観ろ、という自分の持論を再確認した。だがその中では、ミン・ウォンという中国系アーティストのバカっぽさにかなり惚れた。入口にパゾリーニの『テオレマ』のポスターが貼られている。映画のポスター?と疑問を持ったところで先へ進むと、放射状に並んだ5つの小部屋があり、そのすべての壁上のスクリーンに『テオレマ』の別々のシーンが展開されている。再現らしいとはすぐ気づくのだが、室内装飾や小道具まで結構本気。しかし、どの人物も、男も女もすべて作家自身が演じている…。何しろどの顔も中国系のあんちゃんだから、パゾリーニとか元の文脈とかはどうでもよくなってきて、ただ笑えてくる。二人の人物が要るシーンは、後ろ向きのスタンドインを入れてごまかしている。そして出口には、「自分が出演している『テオレマ』」の絵までかかっていた…。こういうのばかり面白がる自分もどうかと思うのだが。

ユッスー・ンドゥールセネガル大統領選に出馬、マジかよ! 複雑な気持ちのワールド・ミュージック世代。