2011/09/24

香川京子さんのご来臨を仰いだ今日のトーク、11月からの上映作品についての田中眞澄さんのご希望も伺いながら、和やかにつつがなく終了。

本日の読書。なんとなく合点がいった。だがニュース映画マンたちは、自分の仕事が未来の写真家に影響を与えたなんて想像もしなかっただろう。ニュース映画の「ぶっつけ本番」主義がアレブレボケの源流か?

かつて、大阪駅東口の大ガード下に小さなニュース映画専門館があった。まだ世間を持たない中学生になりたての僕にとって、月に三、四度通うその映画館は、いわば唯一の社会への窓口であり、もうひとつの学校であった。まだテレビが普及していないころだったので、コーヒー一杯ぶんほどの料金で新着の内外ニュース映画数本と、文化映画と称する観光映画一本というメニューだった。連日新聞紙面をにぎわす事件のかずかずがいち早く生々しいタッチとアングルで上映され、昼日中から大人たちで満員であった。映写中も頭上をひっきりなしに列車が通るので、狭くるしく小便くさい劇場はきりもなくガタゴトと震動ばかりしていた。しかし、僕はあのムッと熱気のこもる暗い空間のなかで、いったいどれくらいさまざまな夢と想像力をかきたてられたかしれない。僕に現実の目を見開かせてくれたのも、さまざまな街や風土を教えてくれたのも、そして記憶の何分の一かを受け持ってくれたのも、みなあの小さなニュース映画館のスクリーンなのであった。(森山大道「犬の記憶」)