2011/07/18

連休終了。その連休にも仕事が一つあった。16日の午後は名古屋の南山大学で、名古屋周辺の人類学研究者の方々が集まる「まるはち人類学研究会」に参上、キューバ関連の映像作品に対するコメンテーターを務める。もう一人のコメンテーターである石塚道子先生がカリブ地域のエスニシティが専門でいらっしゃるので、私はほぼフリーハンドで映画批評に徹した、というか好き勝手なことを申し上げたがこれでいいんだろうか。あとの懇親会では皆さんのお話があまりに面白く、他流試合の楽しみをますます深めたナゴヤの週末であった。

今日は講義の後、ユーロスペースへ向かいヤスミン・アフマド特集より『細い目』(2004年)。今朝、新宿駅で偶然石坂健治さんにばったりお会いし、今日はヤスミン特集に行くんですと申し上げたら、それじゃあ招待券あるから、と一枚いただいてしまった。この完璧すぎるタイミング、さすがにうろたえました。『細い目』は、2000年を超えて、まだ世界にはこれだけ豊穣なクラシシズムを帯びた映画作家が生まれ落ちることがあるのか、という驚きそのものだ。ヴィデオ屋の中国系青年ジェイソンと、香港映画好きのマレー系女学生オーキッドの淡い恋の物語。ニホンであれば親に隠し通そうとしがちな恋の顛末も、マレーシアでは家族の絆が強いためかいつしか親にも筒抜け、二人の秘めた感情がやがて家族の悲喜にもなり、そこから多民族国家の社会構造まで透けて見えるようにできている。…などと大きな話をしてもいいのだが、それよりもまず、初恋の物語を、ただただみずみずしい初恋の物語として撮ることがいま世界のどの映画界で許されているかと考える時、このマレーシアの女性監督の存在意義はかけがえがなかったと思う。今は、かけがえが「なかった」としか言えないことを惜しむばかりだ。