ベルシー初日

ますます寒くなってきた。こんな気温がずっと続くのかと嘆息していたが、それでも段々と慣れてくるもの。管理人さんが電気回線を修理したらお湯がやっと出るようになった。この状況下で水シャワーだけは嫌なのでほっとした。

6日の晩はファブリス・アルデュイニさんに電話をして、パリ日本文化会館に伺ってみた。私の古巣である国際交流基金の海外拠点の一つで、もしフィルムセンターに入れなかったらきっとここで働いていたはず。こんな異国の寒星のもとで昔の同僚と旧交を温めるのもいいもので、すっかり展示事業のプロになった竹下潤さんに展覧会「WA-現代日本のデザインと調和の精神」もご案内いただいた。日本独自のプロダクツ・デザインをどっさり集めたもので、高価な調度品から100円ショップっぽいグッズまで分け隔てなく並べた大胆なコンセプトが印象に残る。帰り道は海外屈指の日本映画プログラマー、ファブリスさんと食事。いつもながら、控え目な身ぶりで着実に前進する人なり。

さて、本日7日はついにベルシーのシネマテーク・フランセーズで研修初日。地下鉄ベルシー駅からシネマテーク前広場の積雪を踏みしめてゆく。私の研修を監督するのは文献管理課長のマルティーヌ・ヴィニョさん。6歳と4歳のお子さんのママ。シネマテークと合流する前の映画文献図書館(BIFI)のご出身で、もともとは映画ではなく資料取り扱いの専門家。シネマテークの映画資料の現状を説明していただいた後、4階から8階までスタッフのお部屋を順々に訪れてご挨拶の行脚。昨年9月に「フランス映画の秘宝」で来日されたエミリー・コキさんとも再会した。彼女のデスクの後ろにはフィルムセンターの「川喜多かしこ展」のポスターが。ちょっと泣きそうになる。セルジュ・トゥビアナ館長もご在室で、清酒「ダイヤ菊」をプレゼント。オヅとノダが脚本を書くときに浴びるように飲んだ酒、とそれはそれはうやうやしく説明した。これが重かった。7キロ超過を見逃してくれた全日空さんありがとう。

午後はベルトラン・キャップさんによるデータベース"CINE RESSOURCES"と"CINEDOC"の解説。前者は映画関連資料の公開データベースで、シネマテーク・ド・トゥールーズジャン・ヴィゴ協会(ペルピニャン)など国内の5機関の所蔵資料が統一して検索できるという驚くべきもの。後者はその源になっているシネマテーク・フランセーズ自身の内部用データベースだった。入力時の表記規則が絶えず練り続けられていて、その綿密な規則を冊子にしたものを読んだだけで大興奮。みんなもともとは映画狂いのくせに、内容には一切触れることなく、世界各国の人名や題名の表記法を延々と煮詰めていたとはカッコいいにも程がある。フィルムセンターのデータベースだって4つのマキノ「マサヒロ」や「鈴木清太郎鈴木清順」ぐらいは同一人物と認識できるわけだが、それでもここで、ジェス・フランコの約50の変名がビシーっと画面に表示された時には笑ってしまった。そして各作品につき現時点での上映権保有者の欄があり、ちゃんと定期的にアップデートされていると聞いて途方に暮れた。

帰り際にデニス・ホッパー展。現代美術の蒐集家としても著名な彼のコレクションがメインで、映画はむしろやや控え目な感じ。美術展として楽しめばいいのか、と理解したところで目前に『アメリカの友人』の冒頭の映像が現れ、心にしみる。『イージー・ライダー』のシナリオもあったが、やっぱりシナリオって展示しても地味になりがちですね。自分らだけじゃなかったんだ、と安堵。