2013/07/08

土曜は岩佐監督特集で『とべない沈黙』トーク。脚本の生成を稿ごとに見ていると、「映画原理」から「ジャンル」へ、そして「詩」へと揺れ動いているのが分かる。こういうプロっぽくない青さが絶対的な価値なのだ。いろいろ語ってはみたが、この映画の価値をもっとみずみずしく語れる言葉があるような気がする。

日曜は東京大学福武ホールで記録映画アーカイブ・プロジェクトのワークショップ、なんともう第10回だった。上映作品は、まず『忘れられた土地』(1958年)。野田真吉の代表作の一つでありながら、業界筋では著作権孤児作品としても知られている。のちに原発も建つことになる青森県東通村の困窮を描くのだが、改めて観ると、東北の農村改善映画でデビューした野田の経歴にも沿いながら、早々と反高度成長という地点に達した先駆的作品だと思う。それでいて、同時録音ができないという時代の技術的制約を楯に、戦前期の文化映画の残響をあえて残したようにも見えるのが面白い。「文化映画にもまだ闘い方がある」という主張だと私は受け止めている。土本典昭水俣の子は生きている』(1965年)は、テレビ番組という制約を、それでもあちこちで突破しているのに目を見張る。この映像によれば、1965年、表面的な可視性においてはすでに水俣は「終わっていた」のだった。あのシリーズ開始の5年前であることを考えると、この言葉はますます重い。神馬亥佐雄『汚水カルテ』(1977年)は、鹿島コンビナートの廃水には濃度規制しかないため、工場が廃水を希釈してごまかすというからくりを告発する。東大助手だった中西準子先生の若き戦闘的研究者ぶりを拝めたのも嬉しかった。1950・60・70年代に属するこの3本、社会の変貌を見るにも、すべて漁業が主題であるという面でも、カメラの視線の変容においても、純粋な撮影技術の面でも、結果論ではあるが優れた組み合わせであった。